私たちは生きている限り汚れます。

ヒーリーが好きすぎて、1日中かけているため、先日ヒーリーをもう一台買うと言っていましたが、結局なんでだかわからないけど、
ヒーリー4台、肉体に直接働きかけるマグヒーリー3台
計7台が今、私の家にあります。24時間ノンストップフル稼働しています。
この、なんでだかわからないけど、叶ってしまうというのが願いを叶えるコツです。ヒーリーは12次元の情報フィールドから働きかけるので、私の引き寄せ体質もクライアントに流れますからね。
ヒーリーに依存してしまう?という懸念をよく耳にしますが、逆です。ヒーリーを使う事は本来の自分を取り戻すことなんです。
私たちは生きている限り汚れます。どんな聖人でも。ですから見えない周波数を常に掃除する必要があるんですね。しかも掃除は両親、祖父母、先祖の思考、前世等、多次元に及びます。
これを一人でやる、あるいは誰かのセッションで解放する・・・、そんなことしてる間に人生終わる!という話になってきます。そのことが人生の目的になっては、真にスピリチュアルをやっている意味がないんですよね。
ただでさえ、さらに地球は分岐していくわけですから巻きでいきたい。真にシフトを望む方はそう思っていると思います。
自分の見えない周波数を、自分で綺麗に掃除するのは自分の責任であり、それも含め自分の人生は自分で創造しているということなんです。
そしてやはり第一チャクラの生命力の土台が整っていないと生きる気力を奪われている状態なので、そのマインドに辿りつくことが難しいです。
どれだけ上のチャクラが発達しても、昔あったおもちゃのフラワーロックのような危ういものになります。でももちろんそれもヒーリーで整えられるんですよ。だから凄いんです。
もう誰かのセッションを受けなくても、自分で整えられる時代です。私のセッションはヒーリーメインにして、他のセッションはそのサポートのようなカウンセリング等にメニューを変更していくだろうなと思っています。
ただ、やはり自分で整えようと思ったら、ご自身でヒーリーを持つのが好ましいです。毎日メンテナンスできますし、これだけでカルマ解放できますからね。
私自身もヒーリーで肉体を労わっていたら、もう閉経かなと思っていた生理が7カ月ぶりに来て、おお、久しぶり!という感じです。ヒーリーは肉体の可能性を純粋に引き出してくれますよ。
利権で隠されてきた宇宙の技術が再び復活していく時です。

今回は、大事な分岐点の時にいつもセッションを受けて下さる看護師の方のご感想です。
古い概念があらゆるところで解放されている今だからこそ、利権で隠されてきた宇宙の技術が再び復活していく時です。これから量子医療も広がっていくので、だからこそこれまでこの方は3次元医療にいたのでは?と感じます。
私は肉体の知識があるこの方にこそ、 医療の知識と量子技術でヒーリーを扱って欲しいです。
実は現在、お医者様も私のヒーリーセッションを受けて下さっています。
そして長いお付き合いの教員の方も、ヒーリーに可能性を見出しておられます。ご自身の体験を元に、医療、そして教育に光を届けて頂きたいと心から願っています。
私はそういった人々に貢献する方たちのために、共に併走します。
そしてもちろん自分の人生を生きる!と決意した方と共に。
そのために一度、この地球で古いものが崩壊します。今まさにそれを目にしているかと思います。必ず良い時代になります!それはもう目の前です。ですから自分を整え続けて下さい。その意味が必ず分かる時が来ます。
ヒーリーは体験しないとわかりません。頭でいくら考えたところで分かりません。
私たちは肉体次元にいるので、肉体に溜まった情報を綺麗にしていかないとシフトは難しいと思っています。
今回の看護師さんはラインでこのようなことを話されていました。

今まで生き抜いてきた自分、ここに連れてきた自分への感謝と誇りと労いでした。

昨日はヒーリーセッションありがとうございました。
このセッションは特に気づいたことを言語化していくこと、自分で認識したり、捉えていくことも大切な気がして、早速気づきや感想を送らせていただきます。
今回のヒーリーでのセッションで一番感じたことは、今まで生き抜いてきた自分、ここに連れてきた自分への感謝と誇りと労いでした。
あらゆる出来事、人生の発起人はすべて自分。
そう受け入れられるようなアプローチがなされていたと感じますが、まずは自分に寄り添い、労ってあげたいと思いました。
自分自身との信頼関係、すべての主導権を自分に取り戻す、引き受けるためにヒーリーと出会っているように感じます。
セッションの翌朝感じたのは、身体の軽さ。特に背中が。
背中、肩甲骨が自由に動く~~!という感覚です。
わたしはなによりも自分自身に怒っている。怒っていた。
神への怒り。神と分離していると感じていた。
何も考えず、自分を解き放って自由に存在していたい、表現したい
発信もしているのに、見られたくない、知られたくない、目立ちたくないという真逆の想いがあった。それは、やっかみや余計なエネルギーから守るために身に着けた生きる術というか、本来のわたしでは持ちえない恐れなのかもしれないと感じ、
その恐れがなんだか愛おしく感じた。
本当は全然幸せじゃないのに、求めている30~40%ぐらいのラインで幸せだと頑張って思い込もうと、ものすごく限られた中で幸せを見つけようとしていた自分に気づいた。
生きてきた中で幸せ、安心というものを感じていなかったという事実を知りました。
でもそれは、幸せを求めているのに、幸せがこわい。不安、心配の状態に慣れすぎて、その方が落ち着く、自分から壊していたことに気づきました。
望みや願望と思って書きだしたことが、「それがあったら幸せになれると思ったから」出てきたものなのかもしれないと。
自分は完全じゃない、だからそれがほしいと。
本当の自分を思い出し、それを生きること。
最高の意識、周波数で生きること。
欲望やエゴの願望が悪いわけではないけれど、本当のわたしが望んでいること、魂の願いは、こんな感じなのかもしれないと。
整っていけばいくほどに、純粋な願い、望みがクリアになっていくような気がします。
そしてそれは、願わなくても自然とそうなっている状態になっているんだろうなと。
被害者意識、他責
自分ではどうにもできないとパワーや責任を放棄する
幸福感と安らぎへの恐れ
境界線のパターン、癖
感情の抑圧
自分の内側に安心や幸福を見いだせず、幸せや喜びがどこかにあると思い込む癖
運命や失敗、自分の責任を受け入れようとしないこと
責めるでもなく、悪いと思うでもなく、
一旦自分自身が持っているもの、現在地のようなものを認識し、気づいていくことから始まるんだなとなんとなく感じています。
自分でぜんぶ創ってきたこと、責任も変える力も自分にある。
こうも感じるけれど、それでもじぶん一人でやらなくていいという安心のようなものも芽生えています。
自分のパターンや癖、なにかをみつめるとき、自分を責めたり感情に揺さぶられたりしやすいのですが、
余計な感情を挟まずみることができるような感覚があります。

